ドイツの好きなとこを書き上げてみる
なんでドイツが好きなのか、とよく聞かれる。
なんでなのかは自分でもよくわからない。けど、ちょっと分析してみたい。
ドイツの街並みが好き
ドイツにいて、(わぁ・・・)って感無量になるのは、
- 自転車漕いでるとき
- 公園歩いてるとき
- 信号待ちして、街角見てるとき
- 広い空を見てるとき
- 自分の部屋の窓から庭を見るとき
・・・街並みが好きなんですね。まず。
もう、なんとも言えない気分になる。ミュンヘンに来てもう14ヶ月半だけど、自分がここにいるのに未だに感動する。
屋根の色とか、道路とか、木々とか、池とか、鴨とか、芝生とか、教会とか、看板とか、自分の前を走ってる自転車の人とか、歩いてる人とか、雲が低かったり、空が青かったり、目に見えるもの全部だな・・・
日本とどう違うのか、と問われると、・・・やっぱり緑かな。公園か教会か街路樹があるから、絶対緑が見える。アウトバーン走ってても両脇に緑あるしな。緑が好きなのかな。
毎日自転車で通勤するときに通る教会。家々の窓もかわいくて好き。上が丸くなってるドアも好き。
自分の部屋から見下ろす庭。林檎の木があるし、色んな花があるし、リスも鳥も遊び回ってる。
アウトバーン。両脇に木々。なんか広い。
あとは歩道。日本は歩道、というのが確保されてるとことされてないとこがあるけど、ドイツの歩道は車道より一段上がってて、狭いけどそれが好き。住宅街は車がトコトコ走ってるのが好き。
この歩道のブロック感が好き。家と木が並んでるのが好き。
ドイツ語が好き
勉強するモチベーションの上がり下がりはあるけど、何を見ても聴いても勉強になる。
図書館で文法書を読んでも、
インターネットサイトで問題解いても、
新聞を読んでも、
外国人の就労許可に関する案内書を読んでも、
メルケルさんの記者会見を見ても、
ドラッグストアのフリーペーパーを読んでも、
GNTM(モデルオーディション番組)を見ても、
パン屋のお客さんとか同僚とか友達としゃべってても、
街中の広告を見てても。
いくら掘っても新しい発見があって、この単語、この使い方あるのか・・・とか、この類語との使い分けは何だとか、これって語源これじゃんとか、日本語でも同じ諺なの不思議、とか、奥が深い。
ドイツの食べ物が好き
ミュズリの宝庫だし、パンも大好きだし、日本で見ないものがいっぱいあるし、そして安い。
あとはヴィーガンとかグルテンフリーなものが流行ってて、これが結構好き。
わたしはアレルギーもなければ、倫理的な信条もないんだけど、
日本にいたときから牛乳より豆乳が好きで、ドイツには他にアーモンドミルク、ココナツミルク、オーツ麦ミルク、ライスミルク、スペルト小麦ミルクなどなど尽きず、試すのが楽しい(全部試したけど、結局豆乳が一番好きだわ)。
ハンバーガー屋ではクルミで作られたパテにヤギのチーズといちじくのマーマレードソースのバーガーとか(ヤギだからヴィーガンじゃなくてベジタリアンメニュー。うまかったー)、
クリスマスマーケットでは小麦粉なしのアボカドとチョコレートのケーキが売ってたり(まぁまぁだった)、
今はAgavendicksaftというものを狙っている。砂糖の代わりに蜂蜜を使うのが好きだったけど、こちらは植物らしい。
なんていう、食べ物探検が楽しい。今のところ、嫌いなものはリコリスくらい。
ドイツの環境保全意識が好き
それから環境保全意識が高くて、賛同できる!
エコバッグ持参は当たり前だし、ゴミの分別が細かい。瓶は色(透明、茶色、緑)で分けるし、一家に一台、でっかいゴミ箱があって、ゴミはこれにぶっこんでいく。収集車はこのでっかいゴミ箱ごと持ち上げて中身だけ回収してくので、ゴミ袋がない。ゴミを包む袋を買ったり、それ自体もプラスチックだったりして、日本にいたときはモヤモヤしていた。
こっちに来てから、パンは綿のふきんで包むようになった。綿のふきんで包むと保ちもいいし、洗って使えるのでゴミも出ないので、いいことしてる気分になる。
ドイツではプラスチックとかリサイクルできないものは悪で、最近ではRitter Sportが紙素材のパッケージで新商品を発売し始めたのに「おお」と思った。コンドームまでFSC認証のものが発売されて、もう何がなんだかわかんなくなった。
https://www.ritex.de/pronature/
ドイツの親切さが好き
あとは、人に手を差し伸べるのが当たり前なところがすごい。
ドイツには松葉杖の人、車椅子の人、結構なご老人をよく見かける。見かけない日はないくらい見かける。日本ではどうだったかな、と考えるとあんまりいない気がする。なんでいないのか考えてみると、多分、松葉杖を使わなくてもいい程度にまで回復してから外に出る気がする。松葉杖で電車に乗ったら席譲られるんだよなぁとか変な遠慮が頭に浮かぶ。車椅子しかり。
ドイツでは彼らが乗車/降車するときには周りの人が自然に助ける。日本だったら事前に駅員さんに言って手伝ってもらうのがほとんどですかね。ベビーカーの人も「ちょっとここに置いてもいい?」と言ってスペースを譲ってもらったりする。日本の電車は乗車率高いので、そこのところも周りの理解は違うのかもしれない。
ドイツには優先席っぽいのはあるけど、そんなの関係なく、松葉杖の人、ご老人にはどこに座ってても「ここ座ります?」とめちゃくちゃ自然に話しかける。目に入った瞬間に話し掛けてるくらいの勢いで立ち上がって声掛けてる。声掛けられた方も「ありがとう」と良い感じに譲られるし、「次で降りるから大丈夫。でもありがとね!」とこれまた良い感じに断る。そしたら譲ろうとした側は、はいはーい、な感じでまた座る。
日本だったら無言で席を立って去って、譲られる対象の人とか、その周りの人とか、雰囲気で察してやっぱり無言で座る、というシーンになる気がする。声掛けて断られたらどうしよう、とか、この人妊婦さんじゃなかったらどうしようとか、白髪だけど実は若いかもしれない&老人扱いされて怒られたらどうしようとか、やっぱり変な遠慮が頭に浮かんで、声掛けるまで時間掛かったり、気付かないフリしてしまったり。だからドイツのこの自然なお手伝いがすごい。
ドイツにいる自分が好き
で、最後に。
わたしがドイツ好きなのは、わたしがわたしでいられるから、です。
こっちに来た当初、友達になんでドイツ来たの?と聞かれて、深く考えずに「自分の人生を生きに来たの(to live my life)。」と答えたのですが、「自分の人生を生きてなかったの?」とキョトンと聞かれ、自分で「ん?」と思ったのでした。
日本では、窮屈なことが多かったです、正直。自分で勝手に窮屈にしていたのもあるし、これまで生きてきて色んな人にあーしろこーしろと言われてきたのもすごく嫌だった。納得してないのに調和するのも、調和しないで色々言われるのも嫌だった。社会人になって周りと調和する方向に大きく舵を切ってみて、良いこともいっぱいあったけど、内心で苦しいこともいっぱいあった。ずっと窮屈に感じてたものが、ドイツに来たらなくなった。自転車漕いでるとき、公園歩いてるとき、信号待ちして街角見てるとき、広い空を見てるとき自分の部屋の窓から庭を見るとき、自分が何にも縛られてないのを感じてすごく嬉しくなる。ドイツにいると、自分の世界の色が100倍鮮やかに見える。
ドイツ人は後先考えずに自分の意見を言う。「それ言ってどうするの?」って思うくらい言う。ただ言いたいだけなのね、っていうくらい言う。「あっそ」って思うくらい言う。それがいいなと思う。