みずがめ記

既婚だけど単身でドイツにワーホリに来て、就労ビザで延長滞在。帰国してもドイツが好き。

ドイツから帰国してできるようになったこと

f:id:e1416:20201031121627j:plain

ドイツから帰国して約2ヶ月が経ちました。はや。

ドイツではのびのび過ごしていたので、「日本に帰ってもこの私でいられるように生きたい」と思って帰ってきました。

「この私」というのは、この私。なんていうんですかね。ざっくりですが、ガマンしないこと、無理しないことかなと思います。

 

「生きよう」じゃなくて、「生きたい」と思ったのは、実際難しいだろうなと思っていたから。ドイツとは環境違うし、文化も違うし、人も違うし・・・

が、わたし今ハッピーです。日本はそんな変わってないけど、わたしが前とは違う考え方もできるようになってて、自分でも「おぉ」と思います。前からこんな風に考えられてたら楽しかったかも、なんて思います。今日はそんなことを綴ります。 

好きなことする。それにお金をかける。

前はひとりでカフェに入ることは絶対にできませんでした。自分にお金を使うとか、すごく贅沢しているようで。ちょっとくらいガマンして、家に帰ってコーヒーを淹れよう、というタイプ。

が、そういうことじゃない。ドイツでもひとりでカフェに入ることは滅多になかったですが、友達とカフェで過ごすことが多くて、「この時間ていいなぁ」と単純に思えるようになりました。コーヒーを飲む行為もそうだけど、その時間と空間含めて、そこで過ごすことにお金を掛けられるようになった。「この時間と空間にはそりゃ価値あるよね」とか思ったりする。日本に帰ってきてから、自分が好きなカフェとか、ずっと気になってたカフェにひとりで行ってみて、良い感じに幸せを感じてます。おしゃれなカフェにいる自分がおしゃれ、ドヤ。とかじゃなくて。

あとはドイツに行ってカプチーノにハマって、日本でもおいしいカプチーノ飲みたいという探検欲もあり(まだ見つけられてない。うちのパン屋のカプチーノがやっぱり一番おいしい)。

あとは好きなものを買えるようになりました。好きなものとはグラノーラとパンなのですが、日本のグラノーラって本当にマジで信じられないくらい高い。マジで、高い。

どんな高級な材料で、どんな手間暇掛けたらこの値段になるんだってくらい高い(実際は材料を輸入したり、手間も暇も掛かってるだろうし、パッケージもあるし、あとはブランドと、相場と)。

けど買う。好きだから買う。150gで1,600円とかのグラノーラを手に取って、ドイツでならこれ500gで300円で買えるのにな、と思っても買う。好きだから。

あとはパン。家にまだパンあるしな、と思っても買う。おいしいパン食べたい!というのもあるし、夫が喜ぶだろうなぁという。それで食べておいしくて、幸せを感じる。すごい。

好きなもの着る

ドイツではお気に入りの服しか持ってってなかったので、お気に入りの服を着てました。日本だとお気に入りすぎてもったいなくて着れなかったりしたのですが、もー、知らん。着る。お気に入りの服着るってめちゃくちゃ気分上がる。

それから自分の体型とかも気にしなくなったし、着飾ることも気にしなくなりました。日本だとミニスカート履くのは結構勇気いったのですが、もー、知らん。着る。

転職活動で面接行くときもミニワンピ。カッチリしたやつ着ようかなとも思ったけど「やっぱ自分の気分上がるやつ着たいな」と思って無視。面接はフツウに通ったので、よほど奇抜じゃなきゃオッケーオッケーと思ってます。新卒で就活してる学生さん、自分がかっこよく見えて気分いい服で、TPOからよほど逸れてないなら好きなもの着て臨んでみてはいかがでしょうかとか思う。

あとはアクセ。大きめのやつとか派手かなと思って付けてないやつとか付ける。だってかわいいし。そしたらやっぱ楽しいよね。

あと、髪を赤くしました。金にしようかと思ったけど、どうせ抜けてきたら明るくなるし。赤いいね。

自分と違う意見を尊重する

わたしは「人は人、わたしはわたし」と考えるタイプなので、さっぱりしてます。人にはそれぞれ違う価値観があって、それをそのまんま受け入れられます。

それでいいじゃん。と、思ってたんですが、ドイツで暮らして、わたしには相手を尊重するということが足りてなかったなと気付きました。人の価値観を受け入れて、そこで終わり。受け入れるけど、絶対に相容れないモノなのと割り切りすぎて、むしろ壁を作ってた感じ。これを受け入れるといっていいのかもわかんないくらい。どちらかというと「あなたの価値観を確認しました。」っていう感じ。

それがドイツで過ごしたら変わった。具体的に何があったワケではないけど、やっぱり色んな人に会って、色んな価値観に会って、ひとつの物事に対して「これがいい」「これじゃやだ」っていうのが本当にバラバラなのを思いっきり肌で感じて、最初はその理由を性格とか家族構成とか歩んできた人生で培ったんだと推測してたけど、突き詰めたら「だってそうだから」という超個人的な好み以外の何モノでもないと思えてきて、そしたらなんかスッキリした。

価値観が違う最たる人はわたしの夫なのですが、前より良い感じになりました。

例えば彼は、電化製品のコンセントは抜いておきたい。わたしは待機電力がないやつは抜いても抜かなくても変わんないからどっちでもいいじゃん、という具合。

前だったら「コンセント抜きたいなら自分でやれば?ていうか待機電力ないから抜いても意味ないのわかってる?」という態度。もし論理に穴があろうものなら徹底的に突いて破壊。あぁ。

が、今は彼の論理に穴があっても、どうしようもない屁理屈だったとしてもスルーできるようになったし、「コンセント抜いた方がスッキリするなら抜いとくわ!わたしどっちでもいいし!」と思えるようになった。前までは「(どういう頭してるんだろう)」って思って「あのさぁ」でつっかかってたことが、「(ま、そういうときもあるよね)」って思ってほっとけるようになった。すごい。

楽しい、今

自分が解放されるのってドイツだからだと思ってけど、日本でも全然大丈夫と気付きました。日本社会っていうのもあるけど、自分で自分を窮屈にしてたんだなと。

できることしたいし、好きなもの楽しみたいし、一緒にいる人を大切にしたいし、ドイツだろうが日本だろうが、今日は今日しかないし、来年何が起こるかわからないし、いつか死ぬし、そしたらそんなガマンして過ごさなくても、もっと楽しみたいよねという。

いやーわたしは今更このことに気付いたので、他の人はみんな(ではないだろうけど)こんな風に楽しめていたのか、と思うと、わたしもこうして過ごしてきてたらよかったなと思います。といってもドイツに行く前の自分の人生も楽しかったけども!

わたし今ハッピーだし、これからも楽しく過ごせるだろうなと思うとハッピーです。ハッピーに思うと、ハッピーなこと多い気がする。すごいなぁ。